きぬかつぎ

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母の日は誰のためにあるか

今日は母の日。

私の母はもうとうに他界していないので義母だけが母の日に祝える人である。

昨日買い物に行った時花束を買って先にあげた。

ドイツでは多分一般的なのだろうけど誕生日だったら先に祝ったら不幸になる?とか何とかでタブーみたいなのだが、他の祝い事についてはそういうのはおそらくないと思う。

花束は特に日曜に特別に花屋が開いていてそこに買いに行ければ当日新鮮なものを渡せるけど、うちは毎年土曜に買ってそのままあげている。

今日当日は、義妹が音頭取りでみんなでお茶を飲むことになっている。

といっても世帯を異にする人々が三人以上で集れるのは明日からだそうで、その辺の詳しい条件もよくわからないのだけど、とにかく一緒に集まれないから近くに集まるんだそうである。

テラスとそこに面したキッチンがあるのでその二つに分かれるんだそうだ。

ただ、いくら世帯が一緒でも、私と夫は昨日スーパー2軒をまわって買い物をして来たばかりである。

昨日もし感染してしまっていたら、私と夫が義母と一緒に座るのはまずいと思う。

そういう理由で最近はなるべく近寄らないようにしている。前にも書いたけれど、よりによって嫁のせいで感染なんてことになったらいくらルールを守っていようともう少し考えられなかったかとか言われちゃうに決まってる。

にもかかわらず、義妹が私たちを一緒に座らせようと提案してきたのにはちょっと驚いている。

買い物や掃除など身の回りの世話についてちゃんとしなければ、という姿勢で来たはずなのだ。

想像できるのは、若い頃ヤンチャで親を泣かせてきた義妹が母親になって突然家族愛溢れる人になってしまい、結果異様なまでに家族への愛情が強くなってしまったことから来るもの。

つまり、母のためというより自分がそうやって母に尽くしたい、というものなんじゃないか、と。

高齢の母親に来年がなかった場合、今年母の日を祝えなかったことを義妹自身が残りの一生悔み続けるんじゃないか、ということだ。

そういう気持ちは理解できないでもない。

でもそのあと義母が感染してしまったら?この集まりのせいだったら?感染するリスクがあるのにそこまでして顔を合わせる必要があるのだろうか?というのが私の疑問だ。

私は自分の母親が病気で苦しんでいたのを見てきたので、できればもうそういうのは見たくないな、と思っている。とにかく健康第一なのだ。そういう体験のない義妹には実感がないのだろうけど。

本当に母親の健康も含めて心配するのだったら、せめて今回だけはスカイプを使うとか少し先に伸ばすとか、そういうことでも良いのではないか。今やどんどん薬とかワクチンの進捗状態が報道されてきて、だんだん確かな希望も出てきているし、明日以降は公式に2世帯以上が集ってもいいらしいし(多分)。

いろいろ悩んでいたら夫が、我々はもう一箇所別のところに座るか、と言い出した。

テラスの向こうには庭がある。我々二人がそこに座れば、義妹のところとも義母とも接触せずに済む。話はちょっとしにくいけれど、そんなに直に会いたくてたまらないならそうするのが良さそうな気がする。

あとは夫が義妹を説得してくれるのを願うばかりだ。

それにしても、面倒くさ。。

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