きぬかつぎ

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今年も無事クリスマスを乗り越えた

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昔は正月、今はクリスマスを無事に乗り越えるのが私のささやかな願いである。

昔というのは実家にいた頃で、祖父母がいわゆる形式を重んじる人たちだったので我々もそれに追随せざるを得なかった。

結婚して今はそれがクリスマスになった。義父母がそれなりに敬虔なキリスト教徒で且つ形式を重んじる人たちだからである。

それに近くに住む義妹夫婦には娘がいて、彼女が小さい頃はみんなでクリスマスらしいクリスマスを祝ってやるという義務があった。クリスマスらしいクリスマスというのはこの辺りでは24日夜にみんなでポテトサラダとソーセージで夕食を摂り、食後に娘がおもむろに2階の自分の部屋で遊んでいるうちに大人たちが居間のツリーの下に素早くプレゼントを並べ、ニコラウスが来たことにして、頃合いを見計らってプレゼントが配達されたことを娘に告げる、という一連の儀式である。それらしく見えるように庭への扉を少し開けたりするという小細工も忘れてはいけない。ちなみにプレゼントは子供用だけでなく大人用も一緒に並べる。

うちの夫は子供が苦手というより子供のご機嫌を取るのは嫌だ、という方針であり、さらに自分の子供時代にクリスマスの夜は親に毎年必ず詩を暗唱させられたのがトラウマらしく、こういうごっこ遊びには早くから大反対だったのだが、義妹と義母がせっかく娘が信じているんだから信じなくなるまでやりたいというのでかなり長いこと付き合わされていた。

後から聞いた話では、娘は小学校低学年の頃に既にこれが大人たちの演技であると見抜いていたのだが、おばあちゃんとかがそういうことをしたいんだろうと思い、信じているふりをしてあげていたんだそうである。子供が大人のために付き合ってあげていたというのが真相であった。

24日にポテトサラダとソーセージ、というのは私の住んでいるあたりでは割とよくある習慣らしいが、スープとパンとかそういうバリエーションもあるらしい。要は御馳走でない食事で、25日のクリスマスの日に豪華な食事をするから前日は質素にするんだ、と聞かされたことがある。

開けて25日は大抵が昼に豪華な正餐を摂る家庭が結構多い。夜の場合もあるが、そもそも日曜の正餐自体も昼だし、高齢者になればなるほど普段の日曜も昼に正餐を摂って夜はパンの方が体にもいいんだと主張する傾向があるらしい。

義父が健在だった頃は25日の昼にはみんな揃って義母の作った正餐を摂る、というパターンであった。大体がちょっと奮発した肉料理で、デザートにはアイスにフルーツソースがかかったもの。食後は各自一休みして午後のお茶の時間にコーヒーとケーキが出た。

義父は外食嫌いだったし、姪が小さい時は外食は大人と子供両方にとって苦行でしかなかったので家で食事をしたが、義父が亡くなってからは我が家の25日はアウトソーシングされた。つまりは外食である。夫はもう姪が大人になったんだからクリスマスなんてやらなくていいじゃないか、と毎年反抗してみるのだが、義母にとってはものすごく重要らしく、提案は却下される。

今年は近くの村の大きめのレストランで食事会であった。地元の消防団とかスポーツクラブのイベントなんかにも利用できるような、200人近く収容できるホールでのビュッフェだった。事前にそのことを知らされておらず、クリスマス嫌いでビュッフェも嫌いな夫は始終ふてくされていたが、その割には3回もお代わりに行った上デザートを一人で取りに行こうとした私にもついてきて私より山盛りのチョコムースを持って帰ってきていたので、顔に出したほど悪くはなかったと思う。食後家に帰ってからお茶の時間にはコーヒーとケーキが出た。ちなみにこのあたりにはクリスマス専用のケーキはないので普通のケーキである。しばらくスモールトークの雑談をして夜になる頃には解散した。夜の一定の時間になると義母がテレビを見るからである。その辺は日本にいる我が父と一緒で、何時にはあれ、これ、と決まっていて、その時間は我々子供たちは邪魔してはいけないのである。彼女は乾杯用のシャンパンくらいしか酒を飲まないのでそれ以上は何もない。

というわけで、今年も無事に家族行事を乗り越えることができた。大変ありがたいことである。義母はクリスマスの成功談を所属の婦人会や老人会、友人たちの集まりで話すことができるし、我々は彼女の嬉しそうな顔を見られてホッと一息である。義母がいなくなったらクリスマスは各自で好きなように過ごすことになるだろう。義妹は前に私に、クリスマスの家庭行事の義務がなくなったら南の島かなんかで過ごしたいと言っていた。今や娘も成人したし、家のローンもそろそろ払い終えるし、夫の収入もそれなりに増えて自分もまた働き出したので高いクリスマス時期もそれほど問題なく過ごせるだろうと思う。家族がそういう環境にあるということも幸せなことである。

私個人は、実はどうでもいいと思っている。昔の実家でも反論なんかできなかったし、今だってできないし、だから時間が過ぎるのをじっと我慢するだけである。無事に終わってくれるのがいちばんの願いである。実は過去に2、3回、クリスマスの時期に近場の観光地のホテルに泊まったこともあったのだが、天気が悪くて外に出られないことも多かったし、レストランはずいぶん前から予約しておかなければならないし、あまり心地よい過ごし方とは言えなかったのでやめた。義務が消滅したらしたで、クリスマスだから特に何かしたいという希望は私にはない。夫みたいに絶対にやるもんか、というのもなければ今の時期は高いから敢えて旅行に行く気もない。強いて言えば、休みだからというだけでちょこっといいものを食べたりいい酒を飲んだりしたい、といったところか。ちなみに今はほっとしたので自分へのお疲れ、ということで水割りを作ってデューク・エリントンを聴きながら生ハムとパプリカをつまみにこれを書いている。