ある町の変わり様の話
店が一軒もないど田舎の我が村とここから一番近い大きい町の間に、その中間の大きさの町がある。
そこそこの規模の映画館や催し物会場、家電屋の大きな店舗、ちょっとしたデパート、それにあちこちにカフェやピッツェリアのようなものが立ち並んでいた。
「立ち並んでいた」というのは、実はさっき知り合いからの話で、そうした街並みの半分くらいがすでに空き家になっていたというのだ。
世間話だし、もしかしたら多少誇張が入っているのかもしれない。でも小さい店だけでなく大手チェーンの家電屋も閉店したという。ゴーストタウンみたいになってる、という話だった。
私はてっきり、その町というのはその町そのものとそれに隣接した地区に住む人たちが利用しているのだと思っていた。
そうしたら違うよ、と言う。
大きい町ほどではないが、ちょっと離れたところから買い物や娯楽のために訪れる人たちで保っていたのだそうである。
いわゆる都会に行くのは苦手だがこれくらいの規模なら催しや買い物に訪れてもいいと思う人たち、あるいは電車の乗り換えで降りて寄っていく人など。そういう人たちのための都会の延長的な役を果たしていたようだ。つまり、他所から人が娯楽のために訪れることを前提として栄えていた、ということらしい。
コロナで多くの店が被害を受けたけれど、人口がものすごく密集している大都会では、通りを数本渡って食事に出かける人、テイクアウトをする人、日用品を買い物をする人、医者に行く人などが一定数はいるので、全く誰も来ないということはないのだろう。
反対にうちの村から一番近いところの町は最寄りの駅さえない小さな町だけれど、以前とほとんど変わっていない。
土地だけはうなるほどあるので、大型スーパーや日曜大工センター、スポーツ用品店などの郊外型大型店舗が町の中心に隣接している。町の中心の通りは飲食店はそれほどないが日常で必要なものの個人商店がたくさん並んでいる。眼鏡屋、薬局、パン屋、花屋、八百屋、雑貨屋、美容院など。加えて歯科、眼科、内科、整形外科なども通りから近いところに点在している。
言ってみれば身内向けの店ばかりだ。身内がいる限りは一定数の需要が必ずある。
お洒落ではないけれど、なるほどこういう価値があるのだな、と思った。