やっと接種案内書が来た
これは私の話ではなくて義母の話だが。
全然期待していなかった、コロナワクチン接種の案内書が郵便で来た。
案内所なので予約ができたわけではなく、予約の方法について書いてあるだけなのだが。
電話かオンラインで予約を受け付けます、ということだった。
やっとこれで一つ心配事が減るな、と思った矢先。
ちょうど入れ替わり?に、ドイツ国内でワクチンが不足しているという報道が出た。
予約の開始もそれに合わせて1週間遅れるらしい。
1週間で済めばいいが(いつも悲観的な彼女の子供たち談)。
接種所の準備は刻々と進んでいるようだが、肝心のワクチンが入手できなかったら元も子もない。
それにいつ予約が取れるかという課題もある。もう2月になるから、2月中旬に予約開始になるとしたらきっと3月くらいになるのではないか、と我々家族は考えている。
その後80歳以下の高齢者や不特定多数の人と接触のある職業の人たちの番になるだろう。そうなるといくらワクチン拒否者がいても母数は俄然増える。それほど高齢でもなく、引きこもりでも勤務可能な人たちは一番最後だから夏の終わりか秋くらいになるのではないかというのが大半の意見だ。悲観的なうちの夫は秋の終わりだと言っている。もちろん大量のその他大勢が詰め掛けるんだからそうかもしれない。超人気バンドのコンサートチケットを取るような感じになるだろう。それでも田舎は人が少ないからちょっとはマシかもしれない。聞いた話では街中の知り合いの家族にはまだ案内は届いていないそうだ。
こんな調子なのでドイツ人の多くは国のワクチン手配は失敗した、そして接種も他国と比べて遅々として進んでいない、と苛立っている。
若い人たちは日常活動が制限されるという苦痛に対して、そして年配者は自分の生命の危険について。一般商店は現在営業停止だから死活問題でもある。
接種が始まった国でさえこうなのだから、まだ今の時点で接種開始が予定でしかない国、人口密度の高い都市で世界選手権を開催する、というのは多分現実からかなり剥離しているのではないだろうか。2月末から始めてトラブルなしに7月で市民の希望者全てが接種完了、というのはここの状況を見ても難しいような気がする。大丈夫だ、などと豪語している某バッハ氏はドイツの人だが、一般市民は今それどころじゃない。
今はその分のお金で経営が困難になっている多くの業種に援助をしてあげてほしいと思う。開催に向けて頑張っている人たちより、今の状況で困っている人たちの方がよっぽど多いのではないかと思うのだ。
小説の感想・准教授・高槻彰良の推察 生者は語り 死者は踊る
マンガの第1巻を読み終えてから寝ればいいのにどうしても止まらず小説の最新刊も読んでしまった。
ちょっとネタバレありです。
前回の予告通り、メガネくん尚哉の過去に起きたことを知るために山の中の村に行くことになった。
でもその前に百物語の話が。
百物語というとどうしても楳図かずおのうばわれた心臓を思い出してしまう。この話ももしかしてその線?とドキドキしながら読んだ。
幸いその線ではなかった。
学生の中で殊勝にも百物語をやりたいと言い出した者がいて、先生も研究室の学生や尚哉もさそって参加する。
授業の一環ではないものの、流れ的に先生が百物語という「イベント」の成り立ちについて簡単に説明してくれ、知らなかった私にはとても面白かった。他の怪異についての解説もそうだけど、まるで自分も講義に出ているみたいで面白いのがこの作品のもう一つの魅力である。
そして今風に多少アレンジしつつも百物語は順調に進み、やがて百話が終わった時、一つの現象が起こった。
参加者の一人に本当に不可解な出来事が起きてしまうのである。
でもそれはなんか出来過ぎな感じだったのだ。
そして、そもそもなぜこれが企画されたのか、そして誰が何をしたのかが分かってしまう。いかにも今の時代に描かれた話らしいオチだった。いわゆるネタにされてしまった人が可哀想なオチだ。
とはいうものの、そのオチがわかった後でも実際に起きた不可解な物理現象だけは謎のままだった。背景が背景だけにこれだけはこのままにしておこう、と自分から身を引いた先生だったが、偶然にもそれがどうして起こったかが分かってこの話は終わる。
オチばかりでなく物理現象も現実的なものだったのだ。鍵となるのは私が一番愛する動物である。結果的に私にはほっこりする話となった。
そしてその次がいよいよ尚哉の過去への旅の話になる。
以前別の事件で偶然知り合った尚哉と同じ能力を持つ人が数年前に同じ土地を訪れた話をしてくれ、その話を聞く限りではかなり嫌な予感しかしないものの、やはり知りたいと思う気持ちが抑えられずに尚哉は旅を決行した。
そして案の定、現地に着いて尚哉たちは不気味な経験をする。それは聞いた話と全く同じパターンだった。
でもだからって先生が簡単に引くわけがなく、先生に言われるがままに尚哉とケンちゃんはさらに足を進める。
そして辿り着いたのは意外にも隣接する村だった。隣接といっても尚哉のいた村とは山を挟んで反対側だったのだが。
そこでの様子をもとに、先生はこの地域がどういう仕組みになっているのかをなんとなく理解し始める。
もっとも、だからといってそう簡単に行くわけがなく、うまく立ち回ろうとしたが失敗して尚哉と先生はとんでもない状況に陥るのだった。
百物語の話が今の時代特有の背景によるオチだったのとは対照的に、これは本物だった。
それを悟った先生は大人の対応をしようとし、尚哉は苦しむ。尚哉が過去の話をしなければ先生がこの土地のことを知ることにはならなかった。だから先生が自分を誘ったのは実は自分が先生を誘ったのと同じことだ、と。
それもそうだし、でもいくら天然とはいえ大の大人が決めたことなんだから責任を取るというのも同じことだよなあ、とも思った。
どうすんだ?と思っていたらそこに思いもよらぬ人が登場。
実は少し前にひょっこりと登場してはいたのだが、まさかここで出てくるとは思わなかった。
その人は前にも出てきた人で、いくつもの「本物の怪異じゃない」話と違って本物だった人だ。そうと知って以来先生が尚哉に内緒でこっそり探し続けていたという。
なんでも、先生と尚哉のことを気に入っているので出てきたんだとか。二人が本物だからか。
そしてその人はその人ならではの方法で二人を救ったのだった。
なんでここで?というのが私個人的にはちょっと疑問だったけれど、これは先生と尚哉の物語なのだから二人の窮地はなんとかして救われなければならない。だからまあ深く考えないことにしよう、と思った。
それより驚いたのはその人の正体だ。そういう類いだろうとは思ったけどあれか!となった。
あまりネタバレしたくないので間接的に書くと、これは私の好きなゲーム「水の旋律」の陽菜である。陽菜みたいな後付けじゃなくて本物の方らしい。
でもその人は今回は救出後去っていき、先生と尚哉は無事にケンちゃんのところに戻ってこられたのであった。
それで話が一件落着したな、と思ったが…
そうはならなかった。
この作品は尚哉の推察ではなくて高槻彰良の推察だからである。
無事終わって帰るぞ、というときになって、今度は先生の方に異変が起きた。
先生の過去に何がどうあったのかは今だに謎で、尚哉みたいにどこで起きたというのもわからず、似たような体験や能力を持つ人もいない。
だから防ぎようがなかったのは仕方ないのだが、突然それは起きて、ありゃりゃと思っているうちにこの巻はおしまいになった。
そういえばマンガの方も一つの事件の途中で終わっていたな、と思いつつ読了。
改めて、尚哉の闇も深いけどいわば「これくらいで済んだ」レベルであり、真打の先生の方はもっと深く謎に包まれているんだな、と思った。
マンガの感想・准教授・高槻彰良の推察(1)
原作小説の新刊とほぼ同時にマンガの第1巻が登場。
早起きして電車に乗るストレスがないのをいいことにマンガと小説新刊を一晩で読んだ結果午前3時過ぎまでかかってしまった。読み始めた時すでに12時近かったせいだ。でもやめられなかった。
ちょっとネタバレありです。
登場人物のスタイルはご丁寧にも小説に似せてあるが、絵のタイプが全く違うので表情がまた違って見えて新鮮だ。
こちらの絵の方がアキラ先生の天然度が高い気がする。そして若々しさも強調されているような。結果イケメン度がさらに上がって見ていても目の保養だ(おばさん談)。尚哉のほうは絵が違ってもかなり似ている。でもあえていうならばもうちょっと暗い感じがするかもしれない。
嘘をついている人のセリフをどうやって表現するのかな?と思って見たら原作と同じイタリック体になっていた。もしかしてもっとねじった文字にするのかなあ、などと想像していたがそこまでするとセリフによってはコマに収まらなくなるかもしれない。でも代わりに吹き出しをそこの部分だけ黒ずませている。嘘なわけだから黒くなって当然なわけだ。
話が前後してしまったが、作品自体は過去の要のシーンから始まる。小説の新刊がちょうどこのシーンに関わる大事な部分にさしかかるところと知っていたので小説の方はどうなるんだろうと思いながら読んだ。
そして新歓シーンを経て先生との出会いへ。表紙の絵も良かったけど講義中の先生もこうしているとかなり見目麗しくてよろしい。
私は想像力がたくましい方だと思うので小説でいろいろ思い浮かべながら楽しんでいるけれど、マンガだと講義内容が図解されてわかりやすく、それはそれでまた楽しいなと思った。
その後尚哉は先生に見出されて?バイトをすることになる。幼馴染のケンちゃんも出てくるし、先輩も出てきた。ケンちゃんの目つきは怖いことになっているとはいえ、マンガでは怖いなんてもんじゃない。かなりいい雰囲気のお兄さんに仕上がっている。先輩は思っていたよりも可愛いと思った。
でも、マンガ第1巻での一番の見どころはやはり第一の事件の後尚哉にこれからもバイトを続けて欲しいという場面だと思う。右側に先生の顔、左側に尚哉の顔があり、二人の対照的な表情とそして先生の決め文句。こんな顔でこんなふうに言われたらやっぱり断れないよなあ、と思うのだ。先生とケンちゃんも特別な仲だと思うけれど、先生と尚哉の関係もまた、この時から何者にも変え難いものになったんじゃないか、という感じがする。
猫の爪研ぎトンネルのお下がり
下の写真は猫が上に乗ったり横から爪を研いだりトンネルの中に寝そべったりできる素晴らしい爪研ぎトンネルだ。
見ての通り脚は木製で、トンネル部分も大きい猫が乗っても大丈夫なようにしっかり作られている優れものである。
だけどうちの猫たちは一回も上に乗ってくれなかったしトンネルの中に入ってくれなかった。横から数回爪を研いだことはあったものの、あまり具合が良くないのか、その後置物と化した。
仕事部屋の各種ケーブルの置き場に困っていたので新しいカゴでも買おうと思ったのだが、何となく目に入ったコレが割と使えそうな気がした。
早速設営?してみる。
上の写真はさっきの横からの写真の角度を変えたもの。上の写真は仕事する時の椅子の位置から撮ったものでこっちは横から見たところだ。
中にちょうどパワーストリップの長さとトンネルの長さがバッチリ収まった。それから各種充電ケーブルを繋ぎ、週末は使わないので全てのケーブルを中に入れてマウスも入れた。
トンネルの下には滑らないようにカーペットの下に敷いていた滑り止めを切って敷いてみた。しばらくこれで使ってみて良ければトンネルの脚に合わせて改めてカットするつもりだ。
トンネルは前にあった家具の中板を敷いてある。何故かというとテーブルの板に挟んで固定するiPhoneスタンドを買ったのだがこの机の構造的にそれが使えないことが勝手から判明してしまい、急遽この板に挟んで使うことにしたからである。板を机から少しはみ出た位置に置き、はみ出た部分を机の板に見立てて固定した。見た目はアレだけど、どっちみち猫のトンネルを仕事机に置いている時点でアレだからいいのだ。ケーブル類が散乱している方が気分的に嫌だし、猫たちが私のいない時にここで運動会をすることもあるのでケーブル類はまとめておきたい。机の下にカゴを下げてそこにケーブル類をまとめて収納、というのをVlogで見たことがあるが、猫の爪研ぎをお下がりでもらって使うのは猫ババアの私くらいではないか。他にも各部屋にキャットタワーを置いているので、タンスを置いている部屋ではキャットタワーに明日着ていく服をかけたりすることもある。そこのキャットタワーも木製のタイプなので重くて頑丈だから重宝している。
手前に置いてあるフカフカそうに見えるものはフカフカのパッドで、トンネルの中に入れてあったものだ。わざとこの位置に置いて来週仕事をする時に猫がそばに寝てくれないかなあ、などと思ったりしている。
極度の手荒れと手袋とアップルウォッチ
ここ3週間くらい、手荒れにひどく悩まされていた。
(ここから先はお食事中の人にはお勧めできないです、すみません)
夏に汗疹ができて困ったー、と軽く思っていたのが大体治ったあと、どうしても治り切らなかった箇所が悪化していたのだ。
右手の中指と薬指の間の部分が一番ひどく、自分で見るのも気分が悪くなるほどボロボロになり、ひび割れ、ガーゼを押し当てるとちょっと血が滲むくらいまでになった。
何日も朝昼晩と消毒して大きな絆創膏を貼って治るのを待った。
でも一向に良くならなかった。前回絆創膏を貼ったのはけっつまずいて転んで膝を酷く擦りむいてしまった時。かなり酷く擦りむいたけど、1週間で傷はうっすら塞がってきた。
今回は2週間経っても全然良くならず、特大の絆創膏を週に一回何パックも買うのも苦痛になってきたし、とにかく痛い。
中指というのは人差し指ほど使わないと思っていたが全然そんなことない。手袋をすればいいというものでもなくて、雑巾を絞ることもできないし、ストレッチをしようとしても、ローイングマシンをしようとしても痛い。リングフィットは考えただけで痛い。
数日間で少しずつ良くなってきていればまだ良かったが、3週間目に流石に医者に行かねばと思い始めた。
がしかし一番近い皮膚科のホームページを見た限りでは予約が簡単に取れそうな感じではなかった。皮膚科はコロナと直接は関係なさそうだけど、おそらく通常営業?ではないのだろう。
そういえばこの前行った歯医者も予約をぎっしりではなくてかなり間を開けて入れていたらしい。狭い待合室での感染を防ぐためだろうな、と思ったものだ。
こんなになるまで放っておかなければ、と一人でこっそり深く反省しているうち、昔医者で出してもらった軟膏はどうなんだろう?と思い出した。
昔出してもらったと言ってもその時の軟膏を大事に取っておいたわけではなくてその軟膏が処方箋なしでも買えると知って自分でも買っておいたものだ。
説明書とネットの説明を熟読してみた結果、私のような症状に効くと分かったので早速試してみた。
1日で痒みと痛みが引いて、2日目でだいぶ見た目が良くなり、3日目の今はまた人前に出られるようなレベルまでに回復した。
あまりにもひどかったので完全に治るまでにはまだ数日かかるだろうけど、もう絆創膏に頼らなくても良くなっただけでも本当にありがたい。
改めて当時のお医者さんに心の中で感謝した。
ひどくなり始めてからはできる限りの作業を手袋をしてやるようになり、用途に合わせて何組も使い分けるようになった。炊事、掃除、洗濯、その他。
手荒れがひどくなったのには多分家の中のこまめな掃除と自炊が増えたせいだろうと思う。こまめに手袋をしていたつもりだったが、ついつい手袋なしでということもあり悪化したのだろう。
今は面倒でも用途に応じて手袋を替えている。
アップルウォッチはゴム手袋の上から話しかけてもSiriが聞いてくれる。家事をしている時にタイマーを使うことが多いので私は料理でも洗濯でも掃除でもアップルウォッチをつけていて、今では手袋をしたままウォッチを押してSiriを起動してタイマーを設定したり、音楽を操作したりできてとても便利なのだ。日時を設定しておけばタスクも教えてくれるし、設定次第でメールやメッセージもタイムリーにキャッチできる。
主婦こそアップルウォッチを持つべきなのでは?と思うおばさんである。
遠隔式誕生日祝い
土曜の夕方、知らない番号からの電話があったので怪しみつつ出てみると、近所の家の夫氏だった。共通の知り合いから電話番号を聞いてかけたのだという。
普段顔を合わせれば挨拶、立ち話くらいはするけどそんなに仲がいいというわけでもない。
何だろ?と思ったら、
「来週うちの妻が50歳の誕生日だから車で家の前まで来てクラクションちょっと鳴らして一言祝って欲しい」
というもの。
コロナ禍中にあって誕生日を迎え、誰も人を呼ぶことができずに寂しそうにしているのを見ていられないのだそうだ。
何という夫婦愛か!
もちろんOKだと答えた。来週といえば12月、12月初めからは世帯が違うと人数限定でしかも1世帯だけしか呼べないというロックダウン強化期間になる。クリスマスと大晦日の期間中は緩和されるという話だがそこまで誕生日祝いを延ばせるわけがないし、そもそもクリスマスはみんな(大体)各自の家でクリスマスを祝うので誕生日会なんてできるわけがない。
車からクラクション一回鳴らして手を振るくらいならロックダウンには抵触しないから、なかなかいい考えだと思った。田舎でないとできない技だけど。
何より、酒が回らないとひたすら寡黙なタイプの彼が私に電話までかけてきたという妻への愛情にぜひ協力してあげたい。
オンラインレッスンに同席してくれた
昨日木曜は仕事の後にオンラインレッスンの日だった。
最近はミニテーブルでソファから授業を受けている。昨日は猫が途中で隣にやってきて丸くなっていた。
たまらずスマホを手に取って写真に収めた。